型屋の技術を活かした、ユニークなものづくり「M.M.Yoshihashi」

型屋の技術を活かした、ユニークなものづくり「M.M.Yoshihashi」

 

「M.M.Yoshihashi(エム.エム.ヨシハシ)」は、瀬戸市内の品野地区で、1959年に“型屋”として出発しました。型屋とは、やきものを量産するために使う“型”の専門業者のこと。

現在、三代目を継ぐ吉橋賢一さんは、これまでに培ってきた型の技術を最大限活かし、窯元に製造を依頼し、独自性の高い商品を生み出しています。

 

型屋の仕事とは?

型屋の仕事は、まずは図面を描くことから。

図面をもとに、石膏を彫って、原型をつくります。土、成形、焼成、窯によって、収縮や変形が違うため、経験と知識量が求められます。※やきものは、窯で焼成すると、小さくなります。

手前は「元型」といわれるもので、原型に石膏を流し込んで型取りします。
奥は「ケース」と呼ばれ、型をたくさんつくるための型です。型を量産するための型です。

これらができて、いよいよ窯元が使う「使用型」が誕生します。やきものを量産するための型です。量産するには、同時にいくつも稼働させるため、これを必要な分だけ製造することになります。

この「使用型」は、成形方法や窯元の特徴に合わせて、石膏の種類を変えたり、水分量を調整して、つくるそうです。

大ヒット商品の「Trace Face Knit Wear」の原型と使用型。


M.M.Yoshihashi」らしい、ユニークなものづくりの原点

金魚のアロマストーンとTeruTeruVASE。

M.M.Yoshihashi」では、代表の吉橋賢一さんによる独自デザインのほか、デザイナーさんのコラボも多く、挑戦的でユニークなアイテムが次々に生まれています。

そんな吉橋さんですが、高校生だった頃、「型屋は絶対継がない!」と決めていたといいます。そこで、親元から遠くへ遠くへ行こうと、中国地方の国立大学へと進学しました。けれども、そこは若き吉橋青年がいるべき場所ではなかったと、両親にも告げず、大学を辞め、大都会・東京のファッション専門学校へ入学します。

 

「専門学校では、服の型紙をつくる“パターン”の勉強を一生懸命やってたんです。服の原点で、一番元になる部分に携われる仕事がものすごく楽しいなと思って。でも、家に帰って、改めて両親の仕事を見たら、やっていることは同じでした」

そう言って笑う吉橋さん。服とやきもの完成品は違うけれども、図面を描いて、立体的にしていく。この作業が同じだなと気づき、後を継ぐことにしたといいます。

28歳で戻ってからは、「自分で型を作れるのになんで自分でブランドをやらんのだろう?」と、自ら型をつくり、窯元に相談して、ものづくりをされています。


そんな吉橋さんによって、生み出されるアイテムはどこか心踊る、暮らしに愉しさをプラスするものがたくさん。

一方で、業界のなかでも「型屋」はどんどん減ってきていることを踏まえ、「カタノガッコウ」を開講し、作家や陶磁器関係者向けに石膏型についての勉強会を開いています。少しでも興味を持って、職人になりたいと思う人が現れてくれたらと、広く普及活動にも力を入れています。

やきものの産地を支える「型屋」のこれから。
そのあり方にも、ぜひご注目していただけると嬉しいです!

 

 

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